今金町を流れる清冷無比の「後志利別川」。この流域は土が肥えていて、桧山管内随一の穀倉地帯が広がっています。また、明治10年代、上流では砂金がよく採れ、黄金色に賑わった時期もあります。
今金米は、この天恵の水をたっぷり吸って育ちます。これが、おいしさの理由のひとつです。 |
安全・安心という言葉が、流行の様にあちらこちらで使われています。「安」という文字が何だか安く使われていませんか?心がそこにありますか?
こんな時世で、今金大地の職人たちがよく口にする台詞に「農家は毎年一年生だ。」というのがあります。
仕事の結果を真摯に受け止め反省する謙虚さと、職人としての誇りを大切にしています。
今金大地の職人たちは、誠実という言葉を「おいしいお米」という形で皆様にお応えしています。
1 生育目標 ・ 初期成育を良くする (7月1日の㎡茎数を多くとる) ・ 1株穂数を25本前後 (㎡穂数は550本から600本) ・ 総籾数は30,000〜34,000粒 |
2 産米目標 ・ タンパク質〜6.8%以下 ・ 整粒割合〜80%以上 |
・ 栽培履歴、圃場観察の記録や農作業日誌 ・ 米通信簿の産米実績 ・ 水田土壌診断 |
・ 適正な施肥設計 土壌分析に基づく施肥設計 ・ 適切な栽培密度 成苗21.6、中苗25,3株/㎡ ・ 移植の早期化 成苗5月15日、中苗5月18日から等 ・ 病害虫の適期防除 |
・ 地力増進 ・ 透排水性向上、乾田化促進 ・ 稲ワラの搬出 ・ ケイ酸資材の投入 |
今金大地の職人は、「こだわりの人たち」です。おいしいお米を作るため、頑固にひたむきに稲を育てま す。 JA今金町は、そんな彼らの意気込みを大切にするため、「27号倉庫」を用意しています。 196を超える小部屋を持つ大きな機動式ラックを18本備えた27号倉庫。職人たち一人一人の米物語がぎっしり詰まっております。皆様の気に入るお米も きっとここにあるでしょう。 |
明治29年(1896年) | 今金町神丘地区で水稲を試作する。 |
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明治41年(1908年) | 稲作を町内全域で試みる。 大正中期、田代地区の佐藤万太郎氏「万太郎米」を育成。北海道稲作の創始者としてその功績は讃えられる。 |
平成17年(2005年) | 水稲始めて1世紀。 北海道に職業としての稲作を定着させた一株を見いだし育んだ大地の職人の心と技は、道南一の水稲地帯として継承される。 |
◎米作りは年一作。だから職人は渾身の力と技を注ぐ!!
※ 職人の心と技は雪と氷で研かれ、そして継承される。
(冬期は学習会を開き、常に「安全、安心、美味しい」に向かっています。)
職人は熟練の技と初めて挑んだときの心を忘れません。 | |
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もみつけ作業(農薬成分を減らすための温湯消毒) | |
育苗が良品質米作りの第一歩なので、育苗期間中はわが子を育てる気持ちで行っています。 田植えが始まりました。 毎日の水管理も始まります。 |
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田植え後は、田んぼ周辺の草刈りや病害虫の発生予察に全神経を傾け、余分な農薬散布の回数を減らし安全・安心な米作りに努力しています。 ・ 病害虫の発生予察は、職人自ら捕虫網を振り田んぼの周りを歩きます。 ・ やませ(低温)の時は水を張り、日が照れば水を落とします。 ・ 毎日の地道な作業を怠らないのは、消費者に安心して食べて頂くための大地の職人の心意気です。 適期刈り取り時期を見極め、いざ収穫です。 |
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厳重な自主検査から本検査まで・・・ 受入時の自主検査から製品時の本検査を経て厳格に仕分けされます。次年度の参考となるよう、職人への説明は丁寧です。 |
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消費者のニーズに答えます!! ・ ニーズに応じた細かな仕分けが可能な保管倉庫です。 ・ お米は生きています。無理(ストレス)かけないで個別の部屋で管理しています。 ・ この部屋は全部で約3600部屋あります。 |
おいしくて安全なお米の条件が揃っています
清流で名高い『後志利別川』の水をたっぷり吸って育っています。
大地の職人は常に土作りにこだわっています
土作りこそが農業の根本です。
大地の職人の技は十人十色、それぞれのこだわりがあります
でも心は「安全、安心、美味しい」の一つです。
職人の心を一つにJAは製品作りにこだわっています
1. 均質な調製 2. 異物の完全除去 3. 職人が1年懸けた「心意気」を大切に調製・保管 4. 調製は妥協しない 5. ニーズに合わせた仕分け |